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ゲレンデ遊び・雪遊び・がっつりカーヴ
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091106_karu1.jpg

11月6日
軽井沢プリンスホテルスキー場。

まぁ全国的に暖かい日ということだったけど、寒い車山から
軽井沢行ったら、暑いのなんのって。

人工かき氷バーンも、暖かさで朝はしまってるし、やがて若干
ペタ付きがあった。とは言え、春のゲレンデとは全く別モノ。
全く問題無い雪質。

幅が広ければ、たいそう快適なんだけどねー。
いかんせん、狭い。
それに平日なのに、リフト待ち長い。

えぇえぇ、初滑りとは言え、筋肉痛なんないっすよ。
滑ってるより、リフト待ってる方が遙かに長いんだから。

ちゅうことで、あまり滑った実感は無し。
何気にシニアと茶飲み話なんぞしながら、またーり過ぎた。

091106_karu4.jpg

たまたま見かけたうまい人。

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季節なのだ。
10月と言えば、ハロウィーン。
ピグもメロも、アイテムがオレンジと黒の世界になる。

じゃなくて…

冬のニュー・アイテムが、店頭に並び始める。

神田へ行く。
よく行く店に入ると、まだビニールの被った新アイテムを
並べているところだった。

「今日入荷したんで、まだ整理してなくてすいません」って。

あまり深く考えずに、チャチャっと買い物してしまった。
だって試着してたら暑くて、簡単に済ませたくなったから。

…むむ、戦略だったかもしれない。
まぁいいか、買っちまったもんは仕方ない。

山に帰ると、気温3度だった。
寒~いっ。

Avalanche Skier POV Helmet Cam Burial & Rescue in Haines, Alaska from Chappy on Vimeo.


雪崩に遭ったスキーヤーの一部始終を捉えた、
本人ヘルメットカムによる映像。
うひょ~っ、怖い!


解説
http://www.gizmodo.jp/2009/10/post_6195.html

オリジナルページ
http://vimeo.com/6581009

 1956年のイタリア・コルティナダンペッツォ冬季五輪で、
アルペンスキー初の3冠王(回転、大回転、滑降)となった
トニー・ザイラーさんが24日に死去したことが分かった。
73歳だった。
ザイラー氏はオーストリア出身。AP通信によると、長い間、
病気だったという。

偉大なスキーヤー。
けど、実際名前しか知らない。
すご~く有名なスキーヤー、そしてザイラー・バレー・スキー場の
コース設計した人、くらいなもんで。(現シャトレーゼスキーリゾート)


Wikipediaで見てみた。
1950年代後半にスキー・アルペン競技で活躍、その後 俳優に転身し、
数々の映画出演や歌までこなしていたらしい。

そして日本の「若大将シリーズ」の中の一作、「アルプスの 若大将」
にも出ていると書かれている。

↓アルプスの若大将の歌

この歌、大昔我が兄が歌っていた。(^-^;

アルプスの若大将、CSで数年前に見たことがある。
若大将の所属する大学スキー部が合宿しているシーン、学生たちが
ジャージで スキーをしていたのが印象的だった。
ありえねー、と思ったわけで。

↓当時のトニー・ザイラーの映像を見ても、あまり変わりがなかった。
1956年冬季オリンピックの時のカラー映像

う~ん、あーゆーのが当時のスタイルなのか?
カッコイイと感じたんだろうか。
きっと今の子がデモパンを見たら、こんな違和感を持つんだろう。


スキー自体も、結構デンジャラスだ。
どんなスキーなのかわからないけど、ブーツは革靴の時代。
コースも随分なもんだ。

ダウンヒル 1956

これを見ると、生き残りサバイバル・レースって感じだね。
いやぁ、おっかない。


ちなみに、このときのスラロームで猪谷千春が準優勝、日本人として
初の冬季五輪メダリストとなったと言う。
この人が北海道出身だから、北海道には千春と言う名の男性が多い
らしい。内地じゃ女性の名前だけどね。(笑)


トニー・ザイラーの映画・白銀は招くよ


歌は知ってるけど、映画は知らない。
亡くなったからテレビで放送するかな、CSとか深夜枠とか。
西洋の本家若大将…なのかな?


ダミアン・サンダース


前回の私の記事を読んでか否か、Sのさんは自らのハーフパイプへの
取り組みについて、"VIRUSの板が好きだし、戸田さん好きだし、バンディット
好きだし…。バンディットだとハードブーツだし…。"
ブログに書いていた。

まぁ、今でこそスノーボードのスタイルって確立されて、どれはどんな形
って決まってしまっているようなものだけど、自分がスノボを知った当時は
人それぞれな面が結構見られたものだ。


当時のスター、ダミアン・サンダースはハードブーツでどこでも滑っていたし、
モトクロスもしていた彼が、ボーダークロスを広めた張本人でもある。
彼が後に残らなかったのは、バックフリップを得意としていたのに、当時の
ハーフパイプ競技では禁止されたから、と言うことだったと思う。
ボーダークロスを日本に紹介した彼は、既に黒髪にソフトブーツ、かなり
イメージ変わってしまって驚かされたけど。。。

またその当時日本では、元サーフィンのプロだった戸田友康さんが、
スノボ雑誌でサーフィン的滑走スタイルをアピールする連載があって、
それもたまたまハードブーツの人だったから、アルペンフリースタイルと
でも言うようなそのスタイルが、熱狂的な信者を生んでいた。

一方では、ソフトブーツを履いてレースで活躍しているプロも居た。
そのためかバートンでは、高い位置までガッチリ固定できる3バックルの
ソフトブーツ用バインディングもあったんだ。


フリースタイル…元々は「何でも可」ってことなんだけど、時間の経過と
共に形が決められてしまうのは、どんなジャンルでも一緒。
フリースタイルという名のカテゴリーじゃなくて、真のフリースタイルって、
やっぱし楽しいと思う。
だけど形が無い分、逆に高度、並じゃ出来ないなぁと思うことしきり。
それだけに、その道の達人ってカッコイイよね。


以前ちょっと知り合ったスキーの偉い人。
斉木隆さんって、SKI NOW! にも出ていたスキーのプロ。
その道ではカリスマ的存在で、様々な逸話もあるようなんだけど。

私はよく知らないの。
モータースポーツ関係の友人に紹介されて知り合ったんだけど、その
友人と言い私と言い、スキー界のことよく知らないから。

この斉木さんも凄く楽しい人で、とにかく個性的。強引マイウェイな人。
そりゃもうスキーの超達人だから、ファンはレース系の人から技術系の人
までいろいろいるようだけど。
当の御本人は、型にはまりたくない自由人。

今は無くなってしまったけど、ARAIスキー場はこの斉木さんとお仲間が
滑るために作られたスキー場だったと聞いた。
それ故に、この上なく自由形なスキー場だったんだね。
オフピステいっぱい滑れるーの、立派なハーフパイプありーの。

ARAIで一緒にスノボ滑ったけど、斉木さんはアルペンボードでハーフ
パイプに入るんだと平然と言っていたのが印象的だった。


昔のSKI NOW! (後半が斉木さん)

斉木さん
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HN:まあじょ
HP:Maziora*Marjo
性別:非公開
自己紹介:
らりほーアルペンボーダー

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